生活
新居へ引っ越したもののダイニングテーブルがない我が家、なぜダイニングテーブルが欲しいのか夫とのノートに記した内容をこちらにも残しておく。
夫がいてこどもがいる。朝はみんなで食卓を囲む。小さなちゃぶ台があればそれでいい。
みんなの茶碗と箸を並べて食事をする。
それこそが『家庭』というものだと思っていた。
それがコミュニケーションであり、食文化、家庭料理の継承の場となるものである。
まさに家庭の食育の現場こそが食卓であると思う。
なぜそう思うようになったのか、自分の言葉で整理して文字として起こしておきたいと思った。
私が生まれ育った環境は、良いか悪いかで言えば悪かった。
祖母と父の関係も悪くそこから祖母は母に当たる。父は酒を飲めば暴力を振るう。
こどもたちにとっては現代の心理学の言葉を借りると『心理的虐待』『機能不全家族』にあてはまる家庭だったと思う。
お酒を飲まない父は穏やかでユーモアがあった。外面が良い分、誰も私たち家族の苦しみや葛藤には気づかない。
社会が変わり、アルコール依存症、ドメスティックバイオレンスなどの用語がどこでも聞かれる世の中になった。
それに伴い父親の言動が落ち着いたのか、単に加齢に伴い収束しているのかはわからないが、お酒を飲んでも怒り狂うことは少なくなった。
幼い頃の私にとって酒を飲む父がいる食卓がいちばん恐ろしかった。
いつも怒号が響き誰も喋らずにもくもくと食べる食事。
こどもがそんな食環境で食がすすむか、すすむわけがなかった。
心と食には深い繋がりがあると思う。
私は当然食欲なんてわかない、食の細いこどもだった。
どうしても、自分が結婚したら、子どもを産んだら、そんな家庭にはしたくなかった。
私が選んだ栄養の道は、自分の経済力を高める訳でも、興味がある分野に飛び込んだ訳でもない。
ただただ将来、いつか家庭を持つ日が来た時に絶対に学んだことが生かせると確信したからだった。
私は私の人生をかけて家族との生活を充実させたい。家族で食卓を囲むテーブルが欲しい。それはただそれだけの理由である。
臨月
妊娠後期に入り夜の眠りが浅くなり寝つきも悪くなったので、ブログを開設した。
ドラマ化されたバカリズムの『架空OL日記』をみて面白いと思った。
影響をもろに受けていて恥ずかしい。
昨日は正産期に入って初めての健診だった。もういつ産まれても赤子が生存できる時期である。
おしるしもなく、私としても赤子が3000gくらいまではお腹で過ごしてほしい。あくまで希望なので全ては赤子のタイミング。
本当にいつ産まれてもおかしくない。何があるかわからない。
人間の腹で人間が育ち産まれ落ちるということはすごい。神秘。
そのぶん母親も胎児も死ぬ可能性はとても高いのが出産である。
どうせ100年後には誰も生きていないのであまり良くない方向には考えないようにする。
私は痛みに弱いと思う。思えば学生時代から、少し頭痛がするだけで何にも手がつかず学校を休むような人間だ。
陣痛はこわい。
ちなみに1人目の出産は陣痛から3時間で産んだ。
陣痛に苦しむ時間が短くなったぶん余計に強い痛みを経験したような気がするくらい痛かった。
痛みというものは誰とも比べられないので、言ったもん勝ちだと思う。
私はめちゃくちゃ痛かった。
正直、夫が立ち会ってくれなかったら気を失っていたと思う。
あんな痛みに苦しんで耐えて1人で産むなんて考えられない。
勝手な希望として2人目も夫には絶対に立ち会ってもらうつもりでいる。
しかし、やはり2人目となると上の子のこともあり現実的に考えると難しい。
でも2人の子供なのに私だけが痛みに耐えるのは不平等だし、痛みを経験しないぶん苦しむ妻のサポートくらいはお願いしたい。
つまり、私は夫をめちゃくちゃ頼りにしている。